無事だった

ある意味は無事ではない。

今までは長子が主だった支援者だったが、いよいよ次子が登場した。問題の献立作成が次子の専門分野だったのと、長子の鈍臭さと、ふと親孝行を自分もしなければ寝覚めが悪いと思ったのかもしれない。なんにせよ、これで助かる。栄養のプロに相談ができればこれ以上の援軍はない。

 

と、思い安堵したのも束の間。次子と親は大喧嘩になった。まあ、想定内ではあったのだが…。

 

正確には、鈍臭く可愛げがない親に、もともと育児ノイローゼ気味で導火線が短くなっている次子が、耐えきれず一方的に爆発したというところか。散々に次子に怒鳴られ、頭から否定された。あんなこと言われた、こんなこと言われた、私なんて生きていても仕方ない、こんなに子供達に迷惑をかけているのだもの。えんえんはんべその嘆きの怨嗟は続いた。

 

一日タンパク質50グラム、塩分6グラム、カロリー1800で行く栄養管理に親は移行しているところだ。今まで食べ放題が好きだった親は、そのような数値の意識をしたことがない。だいたいの人がそんなもんだ。自分だってそんなもん。

 

腎機能が落ちて、このままいくと透析確実と言われたら…さすがにねとようやく緊張感を持ち重い腰を上げた。

 

しかし、腰が思いのほか重過ぎてあがらない(笑)今まで70過ぎまで行っていた食習慣や生活習慣を糺すことの難しさよ。変化を受け入れることの難しさよ。だけど先週の診察を受けて、さすがにやばいと意識は持てた様子だった。

 

一緒に献立を立てた2ヶ月のメニュー表はもう頭の中にない。「食べるものがない」「何を食べたらいいの」「もう何も食べたくない」になってしまう。「毎日毎日ご飯のことを考えて頭がおかしくなる!」と早朝から泣きべそをかいている。食べ物はある、献立も蓄積したものがある。それを紐解く余裕がない。開いても余裕がないから頭に入らない。慣れていないから、今ここでオッケーと背中をポンと押してくれる人がいるとベストなのだが、自分も仕事がありタイムリーに親の援軍の末席に加わることが難しい。しかし、次子の扶けも痒いところに届くものではないようだ。

 

不眠症状がこの二ヶ月出ているのも親の調子の悪さに関係はある。大ありだ。夜22時ごろに布団に入っても寝付けない。少し寝たと思ったら1時間くらいしか眠れていない。また眠れなかったとぐあっと不安になる。

慌てて布団を被り直すが、眠れなかった不安でもう寝付けない。意識は覚醒してしまった。眠る前にあんなに果てていたはずの精魂が暴れるパワーを持ち、じりじりと親の身や心を焼きながら、焦りながら朝日が昇るの待つ。眠れなかったという失敗を胸に重く抱え、どろどろに疲れた重い体と頭をひきずり起きて一日を迎えることになる。

そこには、もう一日の始まりの朝ごはんが待っている…。地獄かと思う。

 

おそらく、次子が出す助言を「これはこうしないといけないから」「こっちを片付けないと腐っちゃうから」「朝からそんなにたべられない」などの言い訳をするのだろう。答えられるものは応えるがそれ以上のものは親にとっては余計でしかないから。

 

買い与えた出来合いの惣菜の処理をするのに

(小分けにして栄養成分数値をふせんではる)、疲れた疲れたというので明日にしたらと次子が気遣うと、「今日やれることはやらないとだめなんだよ!きっちりしたいのは私の性格なんだよ!」と怒る。まあ、やって落ち着くならと好きにさせると寝付くのが深夜、不眠だから夜中の2時ごろにはもう目を覚ましてしまい不安で強迫的に動き出し掃除をなどを始め、疲労や脱水症状で倒れる。

 

 

助言にわかっていても素直に耳を貸せないこともある。自分にだって70年生きてきた自負があるから、それで正解だったことも沢山あるから、こんな小童らに言われ言いなりにしなければいけないのは、悔しい。何より自分の通してきたスタイルで回っていたのに、回らなくなるのが理解できない。やり方が全然違うので、馴染めないし抵抗がある。

 

じわじわと破綻の兆しは残念だが現れていたはずだ。変化は誰しもが怖いし苦手だ。自分のエネルギーの下りは余計に認めたくない。

 

まるで思春期の反抗期みたいだ。人は脳が成長する時に様々な一見不具合を来す。老齢期の反抗期。あるのだろうな。まずはよく夜寝てもらおう。きちんと休んで、活力を朝は戻してもらいたい。クリアな頭と心で臨ませてあげたい。